明日午後三時は、独立党の東京学習会です。
シベリアまで行かなくても、中国東北部の吉林辺りに行けば、冬場には零下30度なんていう、ちょっとばかり涼しい気候を体験できるわけです。このあたりに60年ほど前にトラップされた先人たちのご経験によると、
①朝起きると、同僚が凍死して、コチンコチンに固まっている。だから、死なないように凍えないように、夜半起きて、お互いをひっぱたきあって熟睡しないようにしたとか。そこまでやって、なんとか日本に帰りついた人たち。その地の土となった大半の人たち。そこにもとから住んで生きている人たち。
②日本軍もひどかったけど、後から来た解放軍はもっとひどかった。地主や資産家は、有無を言わさず死刑。解放軍の兵士でも、村の女の子に暴行なんかしたら、即座に銃殺。隊長が、被疑者を銃殺して、被害者に平身低頭して「これで許してください」。反革命鎮圧の名目で、実は、300万人を虐殺。
③共産化した中国では、毛沢東が「共産党に不満のあるものは、躊躇せず申告すべし」と通達。申告しないと、罪になると恐れて本当のことを申告。毛沢東の逆鱗に触れて、収容所に送致。勿論、結末は「死」。
④[大躍進」とか、わけのわからないことを毛沢東が言い出して、みんな畑を放り出して、鋳鉄作り。勿論、使い物にならない。農村全部疲弊して、食料生産が滞り全土で3000万が餓死。
⑤1966-67年の文化大革命とかで、犠牲者6000万人。6000人じゃないよ。
こんな、恐ろしい国で生き抜いた人たちの子孫が、今、日本にたくさん来ている。この国、他国だから知ったことじゃないとは、言えないよ。隣の国だよ。日本だって、ろくでもないこと一杯やってきたけど、ここまでひどくない。というか、我々は、他国の悲惨さを全然知らないんだ。
そんな国から来たお嬢さん方に、[中国ってなに?」って、聞いてみましょう。
但し、21世紀の中国には、いまだに言論の自由はない。だから、聞いちゃいけないことを聞かないのは、大人のたしなみ。そこのところ、よろしく。
リチャード・コシミズでした。